京都・奈良
かなり長い間こちらにはご無沙汰してしまった。この間の日記はDaysとMixiとジオログあたりに書いてきた。
この週末は、伯父がしばらく前に亡くなり、四十九日に出席するために奈良へ。
京都に宿を取って金曜日に入り、夜は川床のクワトロセゾンというビストロで「和 X イタリアン」なコースをいただいた。
鴨川の川床といえば、座敷なのかと思いきや、椅子とテーブルに座り、近くでは炭で肉や魚を焼きながら出してくれる。両隣はもちろんその向こうもずっと川床レストラン。四条河原町の先斗町入り口を入って、右側は軒並み川べりになるのでそういう感じのレストランが並んでいる。
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今回の宿は新・都ホテル。京都八条口すぐのところにある。母親と一緒に泊まるためにホテルを探してみたところ、なぜか二人で泊まるツインの部屋二人分よりも母一人で泊まるダブルベッドの部屋で一人で泊まる方が値段が高かった。なんか変。まあ、駅前のホテルなので過度な期待はしていなかったので想像通り。とりあえず泊まるのに不都合は無い程度。可も無く不可もなく。
翌日は朝から法要のため奈良へ向かった。いわゆる自分の田舎になる場所。
事前に母に家族構成などを書いたカンペを用意しておいてもらっていた。かなりご無沙汰してしまっていて、まるで親族の顔も名前もわかっていなかった。かろうじて父の葬式に来てくれた伯父や伯母だけはわかっていたが、他の人はまるで記憶に無かった。実際、紹介されてもなかなか覚えきれず、でも彼らからは私が東京でやってることをもてはやされ恥ずかしいやら申し訳ないやらで大汗をかいていた。
そして今日はせっかくホテルが近くなので東寺へと向かった。電車で一駅、歩いてもいけるような距離にあるその寺はもう訪れるのも3度目。お目当ては一番目立つ五重塔ではなく、講堂に置かれている21体の仏像たち。食堂に展示されていた版画展示で、酉年の守り神は不動明王だということを知ったので、今回は特に不動明王に親近感を覚えつつ、じっくり見させてもらった。
観智院では五大虚空蔵菩薩も展示されていた。
30年ほど前、自分が小学校に入るかどうかぐらいの時に訪れた田舎。8月の暑い時期、そこの台所は玄関から土間続きで、上がり框のところにテーブルがありみんな座って食べていた。おそらく自分が何か粗相をしたのだろう、祖母からお灸を据えられそうになり泣いて「やだ、やだ!」と叫んだ記憶がある。もちろんぽっとん便所で夜にトイレに行こうとすると廊下を通らなきゃいけないが、裏庭のところの網戸に無数の虫がへばりついていて、そこを通るのがすごく怖かった。
タクシーに乗りその場所に着いた時、その家の構えや側溝、そして道を隔てて向かいにある果樹畑。30年間の間に霞みつつあった記憶は一気に無限の色でくっきりとその目の前にある景色で塗り替えられた。その姿は持っていた記憶とほとんど一緒だった。逆にそれは30年の年月を感じさせないという驚きを私にくれた。
壁の漆喰をなでながら、実は自分でも気付かなかったけど、今建てている「土間と漆喰の家」は田舎の家の遠い記憶から来たものだったのを思い出した。なんてことなんだろう、どこをイメージしているかをわかっていながら、いざここに着くまでそれは遠い記憶の存在化していて、現実のものとして捉えられていなかったのだろうか。
田舎らしいお坊さんのしっかりとした浄土宗の法要を済ませ、もう終わりかなと思っていたら、直に檀家さんたちがやってきて、御詠歌をみなで歌うという。西国霊場三十三所御詠歌なるものの歌詞が書いてある本を広げ、みなで伯父の遺影に向かって33箇所の歌を歌う。その調べは最初はフラットなトーンの朗読のようにも聞こえていた。歌の3文字目までをリーダーの人がちょうどかるたの上の句を読むかのように歌い始め、4文字目からみなで一緒に歌う。23個目あたりで中休みが入り再開。その頃には少しそのメロディラインが見えてきた。こんな歌を歌ってあの世に送ってやるのだなあと初めての体験を楽しんでみた。
そしたらさらに見たことも聞いたこともない催しが。「数珠送り」といわれるそれは、おそらく全周6mほどもあろうかおおきな数珠が取り出され、檀家さんと親族でそれを持つ。鐘を鳴らしながら南無阿弥陀仏を唱えながらそれを半時計回しに回す。途中白いボンボリがついたところが回ってきたらそれを自分の悪いところ(治したいところ)に充てるのだとか。時計係みたいな役割の人のところに糸に通したコマが50個ほどあり、一周するたびにそれを一つ人と右から左へ移していく。おそらく50周くらいだろうか、数珠送りは続いた。その間ずっと南無阿弥陀仏を唱える。こんなセレモニーもこういうところならではだなと思った。
家の過去帳をみせてもらい衝撃の事実を知ったり、自分の父親が若い頃まだその二階に住んでいたとか、近所にある墓に参りに行ったり、なんだか結構楽しく、自分のルーツをたどってきたような法事だった。
いくら仏像がそれぞれ国宝や重要文化財だということもあるのだろうけど、私がここをMUST SEEにしているのは、それに加えてここの演出が良いだろうな。曼荼羅配置に置かれた多種多様な仏像。薄暗いぼろぼろのお堂にライトアップされ、夕暮れ時には日差しも差し込みそれらを照らす。お香がたかれ、写真撮影禁止。中央には一番大きな大日如来がでーんと鎮座、それを囲むようにその他それぞれが興味深い形に彫られた仏像。壁際に座ってじっくり細部まで舐めるように見る。如来さんの目を見てふと気が落ち着いたり。ここは何度も来たい場所。
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