〜花見編では4/9/2005〜4/11/2005に訪れた京都をご紹介〜
醍醐寺〜勧修寺〜浄蓮華院〜三千院〜

京都のタクシーの運転手はどの人も話し好きのガイドさんのような人たちだ。通り過ぎる所々を説明してくれる。タクシーの運転手も日夜お勉強してるのだなあと思った。曰く、地元の運転手じゃないと道がわからなくて、醍醐寺の手前の渋滞に捕まってしまって身動きが取れなくなる。途中で降りてもらう羽目になりますよ、とのこと。確かに「これは醍醐寺渋滞だな」と思うような渋滞に出くわす。裏道にそれて、最終的にはその運転手さんは醍醐寺の北門前につけてくれた。確かにこれは裏道がわかっていないとたどり着けない。ありがとう、おじさん。
ということで、京都駅の人の多さに参っていたのだが、醍醐寺について間もなく同じような光景を目にする。ワンサカ人がいた。結局、有名な枝垂桜がある庭園にだけ入って、デジカメでバチバチ撮ってそそくさと退散した。本当なら世界遺産、あちこち撮って回りたかったのだが、黒山だかりに辟易としてしまった。

駅から5分もしないうちにたどり着いたその参道は写真で見るよりも短かったが、そこに植えられている幾種もの桜の木は満開を向かえていた。両脇を固める白い壁に雪色と桜色の花びらがかぶさり、どこか北国の冬の風景でも見ているかのような気になった。写真を撮る上では、この細長い参道と続く桜の木は遠近差をうまく出せる格好のスポットだった。
入り口まで着くと、中の様子は伺えなかったが、ちょっと興味がわいたので拝観料を払って中に入った。この季節、椿も桜に負けじとまたその妖艶は違った力強い形で魅せつけてくれる。どちらも散るまで精一杯その美しさを誰に主張せんかと言わんばかりに力を出し尽くす。それ故に散り間際のこの頃が一番綺麗だったのだろう。
境内の中央には池があり、浅い水の中に鯉がゆらりゆらりと散歩をしている。その中央の島の木上に、何羽もの鷺が止まっていた。ちり紙を割いたような尻尾の白いかたまりが木上にボンボンと乗っかっている。あんなガタイの鳥が木の上にずっと立ってられるのはすごいなと思った。
池を一周して終わったあたりに塔が立っている。そこにかぶさる桜のシーンが思わずJR東海のCMを想像してしまうところが現代の都会っこで悲しい。でも、この桜と塔のコンビネーションがお寺に合っていってすばらしい。ちょうどその横にはお庭のようになっていて、同じ場所にかえでも植えられている。春は桜、秋はかえでと、美しい風景を作ってくれているようだ。

結局、朝のお勤めもあったのかなかったのかわからないまま、宿を去ってしまいました。部屋の隣に本堂があったようです。外には鐘が置いてあり、自由につけるようになっていた。周りの山の静けさの中でつく朝の鐘はありがたい音がしたような気がした。

お庭は桜どうこうというよりは、しっとり静かな時間が過ごせそうな和庭園。普通と言えば普通だ。外に出て裏の方へ出る。ここに来て、以前来たなあと思い出した。おそらくしばらく来ないで忘れていた人もこの場所に来ると思い出すだろう。一面スギ苔の生えた御庭。その先に院があり、中には弥陀三尊が鎮座している。そのまま裏山の方へ登ると、何本か桜が咲いていた。石仏なんかもあったりした。
帰る頃には門前とバス停へ向かう道すがらにはたくさんの観光客が登ってきていた。観光客一行様みたいな団体と一緒にならなくて良かった、早くにいってよかったと思った。