〜知恩院〜ねねの道〜高台寺〜護国神社〜東寺

予想通り。三門の雄大さとこげ茶色にかぶさる満開の桜。「ザ・桜in Kyoto」といいたくなるような見事なコンビネーション。バカでかい門だけでも圧倒されてしまうのに、やさしいピンクに寄り添われるその姿は冬の雪をかぶった姿とはまた一味違うに違いない。その門を抜けて始まる石段。これを見に来たんだなと思わせる。
おそらく学校に通っていた頃修学旅行できたはずなのだが、まったく覚えていない。石段を登り、現れる光景はまた圧倒される。知恩院は他の京都の寺社と比べると歴史的には浅い。鎌倉時代に始まり現存のものは江戸時代のものらしい。雅な感じと言うよりは、武士に通じる強さを感じるつくりの建物が多い。石段上がってすぐのところくらいでカメラに収めないと入りきらない御影堂。鳩が入るらしく(というかすでに1羽入っていました)お堂の中にはちょっと糞の跡が残っていたりした。
お堂の周りに葵のご紋の入った不思議な象の焼き物があちこちに置いてあった。おそらく扉を止めておくために使うものなのだろうか。裏手に回ると鶯張りの廊下がある。訪れたらとりあえず踏みに行ってみてください。
御影堂の向かって左手にある阿弥陀堂の方に行ってみると、大量の木魚が並べられていた。仏様の前に並べられたそれを最初見た時は木魚の供養とか?と思ったが、整然と並べられているところを見るとそうではないらしい。なんだろうな、と思っていたら、後になってそこから木魚の合唱が流れてきた。ちょっと覗いてみると沢山の信者の人たちがお祈りしていた。なるほど、ある意味素人さんの木魚修行みたいなものか、ととらえた。
御影堂とは反対の方向に少し上がっていくと、大鐘楼がある。どうして鐘も大きくする必要あるの?と思うぐらい、大きい。行く年来る年で出る鐘らしく、除夜の鐘として17人もの人でついているそうだ。京都の町全体に響くように大きくしたんだろう。鐘はがっちり柱に渡した梁に差し込まれている。そもそも70トンの重さの鐘って、どうやって造ってどうやって持ち上げたのだろう?さすがにこの鐘は撞いてはいけなかった。
鐘をあとにして、今度は御影堂の向かって右側を行くと、右手に智慧の道があり、その先に入場料を払って入れる方丈があった。人の少ないこの裏手で、そよ吹く風に散る桜の花びらをカメラに収めんとがんばってみた。そのまま順路をたどっていくと、御廟へと登っていった。ここはちょっとした山の頂上みたいな感じでここもカメラスポット。桜吹雪とともに京都の町並みを納めることができる。



よく見渡してみると、ここには第二次世界大戦で亡くなった人たちの慰霊碑もある。戦って亡くなった人たちで埋め尽くされている。花びらのように最後散っていったのだろうと思うと、ここの桜の木を見る目が変わってきた。

東門につけ、拝観ゲートまで歩く。向こうの方に五重塔が見えた。ちょっと期待が膨らむ。中に入ると、池と庭があり、その向こうに黒々とした五重塔が立っている。右側には二つのお堂がどっしりと構えていた。
ここには桜がないと思い込んでいた。読み漁ったお花見用雑誌などにも東寺は全く出ておらず、とりあえず世界遺産だから行ってみようという気持ちだったのだが、ちゃっかりお庭に沢山咲いていた。なのに、来ていたのは、おそらくコースの最後におまけで設定したのだろう、中学生らしき修学旅行生のグループとぽつぽつと数人だけだった。このすき具合は結構お得だと思った。これで天気さえ良ければベストだったに違いない。お庭の桜を見ながら五重塔へ近づく。五重塔もそう珍しくはないが、近くまで寄ってみるとやっぱりスマートでかっこよくてでもどっしりとしている。寄りすぎて少し後ずさりしてみると、ちょうどいい具合に桜が重なる。ピントを桜に合わせたりして撮ってみた。
次に赤の講堂に入ってみた。正直な話、なぜ東寺が世界遺産なのか知らなかったし、ろくに調べてもいかなかった。まあ、この五重塔一本でなってるのだろうなと思っていた。が、この講堂に入ってその理由がわかった。こここそがその世界遺産所以たる場所なのだろうと。
入ると間もなく仏像が沢山立ち並んでいた。そこに当てられたライトが背後の壁に陰影を映し出し、ここは撮影禁止なのだが気づかず1枚撮ってしまった。すぐに気づいてカメラをしまった。
何歩か進んでびっくりした。その仏像、右に菩薩5体、左に明王5体、さらにその外側に6体の天が立つ。中央に如来5体。真ん中に鎮座する大日如来はその位に比例して一番大きく、他のすべてをまわりに携えている。写真で写せないのがとても残念だが、一体一体全く別々の存在で、またその表情や体つき、体勢などすべてが違う。
また、その作りたるや端を固めるのが国宝、中央に置かれているのが重要文化財という、すごい面子が語るように驚くほど表現豊かである。それがこうもまるでひな壇を飾る人形のようにまとめてこちらを向かれては圧倒されてしまう。戦う騎士のようなものもあれば、すべてを許してくれそうなやわらかく安らかな表情のもの、鬼のような顔をした怖いもの。その役割と存在が意味するところによってすべて違う。
段の手前に説明ボードがあったのだが、お堂内にある売店で説明書きが50円で売っていたので思わず買ってしまった。それを見ながら一体一体を見ていくとまた面白さが増す。何度も往復して見て回った。中でも人気なのは左脇に構えている一番人間的なハンサムさを持っている帝釈天らしい。確かにそのりりしい顔つきは惚れる人がいてもおかしくない。この講堂にある仏像だけで、ここはまた訪れたい場所となった。
立体曼荼羅配置図
広目天 | 多聞天 | ||||||||||||||||||
大威徳 | 金剛夜叉 | 不空 | 阿しゅく | 金剛業 | 金剛薩た | ||||||||||||||
帝釈天 | 不動 明王 |
大日 如来 |
金剛波羅 蜜多菩薩 |
梵天 | |||||||||||||||
軍荼利夜叉 | 降三世 | 阿弥陀 | 宝生 | 金剛法 | 金剛宝 | ||||||||||||||
増長天 | 持国天 |
この21体の仏像は空海のメッセージが秘められているそうな。人の本来の姿は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の十界のうち、天上界までの六道の中をさまようだけでなく、その内に仏を秘めているのであるから目覚めよ、ということのようだ。詳しくは説明書きを買って読んでみて欲しい。
金堂の方にも仏像があったのだか、閉館寸前だったのでほとんどまともに見られなかった。